けものフレンズ1期の考察 「積み重ね肯定主義」
けもフレ1期は多面的な作品ですので、私が1期が好きな理由も複数あります。たとえば、優しい物語世界(これはリアルさやシビアさとは両立すると思います)が好きだし、動物ものや冒険ものや所々のシュールなギャグが好き、とか。で、1期は「積み重ね肯定主義」である所もまた好きな理由の一つです
— 大きさの概念 (@OGainen)Wed Jun 29 03:32:18 +0000 2022
この辺についてはあまり上手く言えないのですが…。話も伏線も全部ブン投げとか、キャラの記憶リセットとか、そういう「積み重ね否定パート」は1期には全く無くってぇ…作中の登場人物の行動や思考、そして視聴者の感情や考察が、積み重ねられていってる部分をムダにしない所が好きです
— 大きさの概念 (@OGainen)Wed Jun 29 03:38:02 +0000 2022
小説でも映画でもゲームでも言えるんですけど、「積み重ね否定展開」が作中でやたら多かったり、最悪なことにラストに存在したりとかする作品って、自分は全部嫌いです。逆に言うと、他の要素は結構ガバガバであってもココの点がしっかりしている作品は好きです
— 大きさの概念 (@OGainen)Wed Jun 29 03:48:09 +0000 2022
世の中には色々な細かい創作論がありますが、「積み重ね肯定」が好かれるというのは、どんな媒体(ストーリーとかゲームバランスとか色々)でも当てはまる普遍的な話ではないかと思います
— 大きさの概念 (@OGainen)Wed Jun 29 03:51:53 +0000 2022
1期のラストバトルも、たんに登場キャラが全員集合するベタ展開ってだけじゃなくて…フレンズそれぞれの性質や技能を生かして一つの目的を達成するという展開(つまり、それまで11話で繰り返されてきた物語構成を内包している展開)なので、シナリオ構成的にも「今までの積み重ねの総まとめ」で大好き
— 大きさの概念 (@OGainen)Wed Jun 29 03:57:08 +0000 2022
1期については、なんだか毎回違うことを言っている気がしますが…「好き」については、このように色々な視点から考えてみるのが良いですね。神話や伝説が様々な解釈をされるのと同じく、1期みたいな優れた作品は、多面的な価値観に耐えうる立体的な強度を持っているとも言えます
— 大きさの概念 (@OGainen)Wed Jun 29 03:57:52 +0000 2022
世の中の優れた物語というのは、すべからく「人間の時間の積み重ね(=つまり歴史)」を模倣し、そして肯定していくべきなのかもしれませんね…
— 大きさの概念 (@OGainen)Wed Jun 29 04:05:40 +0000 2022
コメント
けもフレ1期、好きだ。
「食べないでくださーい!」から6話での「た、食べるなら僕を…!」への変化だったりかばんちゃんのお客さんからパークの一員への心境の変化だったり最終回における各フレンズ達の餞別の言葉の差だったりとあからさまでなくともこれまでの行動に意味があってその場その場で完結していないことが分かる描写が随所にあるから良い…
ラスボスに初期装備で挑む展開が好まれるのもこれだよね
強い装備があるからとか強い技があるからとかではなく、それまでの積み重ねがあるから強いっていう
たつき監督の創作論というものがあるかどうか分からんが、このような物語を作れる人って俺は他に知らないからクリエイターを目指す多くの人にたつき監督の手法を学んでほしいな
ハッピーエンドや共感を持って終わった前作を続編で台無しにするのが嫌われるのもこれだな
今までやって来た事が無になるのは嫌なんだよ
積み重ねがあるからラストバトルで、全員参加の元気玉が映えるんだよな。
積み重ねないのに、形だけ全員集合しても「は?」だぜ。
それはそーと
好きだから理由を探すのか、理由があるから好きになるのか
何もかも大好き、まで読んだ
□は確かに何も積み重ねは無かった。有るのは其処に行くまでも尺稼ぎとファンや視聴者からのヘイトの積み重ね。マイナス要素が蓄積していけばそりゃ評価は下がるよ。
うむうむ、地道に積み重ねは大事よ何事も
いきなり過程を「吹っ飛ばして」結果だけを得ようと楽をすると
グチャグチャになる
そして待ち受けるのは破滅よ。
果たして、あんたは滅びずにいられるかな…?ムクボロ…
その積み重ねを上っ面だけ真似て実はなんの積み重ねもなかったのが□。コピーデッキを作ったが回しかたが分からなかったとはよく言ったもんだ。
むしろ□はこの人の嫌いな積み重ね否定パートばっかじゃね?意味深意味無しクソバードとかイエイヌのヒト探しとかビースト生き埋めとかドナドナ集合とかうみのごきげん()とかここがぼくのおうちとか。
この人大神とか好きそう(偏見)
最終戦でセルフモザイク掛かるタイプ(決め付け)
積み重ね至上主義者にはそのジャンルの性質上、積み重ねを否定してる体を取りながら実は罪重ねを確り反映してるゲーム「undertail」を推そう
プレイしながらあらゆる分岐を探して、アレに辿り着いてあるキャラのメッセージを受け取り、ラスボス(真ボス?)と対峙し、倒すまでの流れは鳥肌が立つほどに積み重ねを強調している
ゲームあるあるの「最強装備を手に入れてラスボスを瞬殺する、ターンが渡っても防具が強過ぎて1ダメージしか受けない」に対する最高の皮肉を味わえる作品なので是非ともプレイして頂けたい
けもフレ関係ないって?けもフレもアニメあるあるを逆手に取った作品で今尚考察が盛んな作品、undertailもゲームあるあるを逆手にとった作品で今尚考察が盛んな作品
どちらにせよ視聴者/プレイヤーが何を受け取りどう感じてどう行動するかを考察して作品内に埋め込んだ作品であり、どちらも天才が作った作品に変わりは無い
唐突にミネ王が出て来たりするのはやっぱりダメだよね(´・ω・`)
そもそもケロロは一話完結だし、アニメは30分に2本か3本でやってるから「積み重ね」はやった事無いので出来なかったのでは無いかな?どのみちプロ失格は拭えないが。
※12
ちょっと待った!
「under”tail”」じゃ無くて「under”tale”」や!
“tail”やと、そっち方面になる!
ボケガエルも積み重ねているものや設定はあるにはあるんだが・・・物語構成上の便利な”お約束”ぐらいにしか利用してないんだよなぁ
あとは話の終わりぎわに矢鱈と意味深なシーン入れたりするけど、設定のチラ見せ程度で作者の自己満でしかないんだよなぁ
言いたい事はとても良く分かる
結局物語の内で主人公が積み上げて来たモノで自分なりの答えを見出すのが作品として最も完成されてるんだよな、そしてそれは作者の答えの代弁でもまぁ良い。
ところが、積み上げてきたモノ全部ブン投げた挙句答えも出せずに強制終了させたような未完成のカスを「深い」だの「考察の余地がある」だのとトチ狂った馬鹿が持ち上げたもんだから制作側も味を占めて中身スッカスカの駄作が世に溢れてる
オリジナルアニメが衰退したのもこの「答えを出す」って事が出来なくなった監督が溢れてるせいだと思ってる
凄くわかる
積み重ねの否定を一切許さないなどとは言わんがやっぱり積み重ねが肯定される作品の方がより好き
お前たちの旅は無駄では無かったというような
たつき監督の言う「正直者がバカを見ない世界」の概念の中にこういう事も含まれてたのかな
色々語りたくなるけど「わかる」とだけ言っておく。
視聴のために過ごしてきた時間が報われるような感じがあるんだよね。
※17
>積み上げてきたモノ全部ブン投げた挙句答えも出せずに強制終了させたような未完成のカスを「深い」だの「考察の余地がある」だのとトチ狂った馬鹿が持ち上げた
ホントこれ。
そういう「積み重ね否定パート」は1期には全く無くってぇ…
誰かココに「ないんかいっ!」て突っ込んであげなよ。
ここだけ、あるぱかぼくじょうのおねぇさんの声で再生されたの僕だけ?
うしおととら然り、旅を通じて得たものが最後に最良の結果をもたらすって素敵やん
※5
全部繋がった同じ世界ってことにしたばっかりに、「それぞれの時代で主人公達が必死で戦っても、結局世界に平和な時代なんて来ませんでした」と確定しちゃうとかな。
ガンダムもロックマンもそうだし。
※11
キュルクソが唯一善意で行ったであろう行為「絵を渡す」が、災いの元にしかならないとかな。
あいつが目覚めさえしなければ、旅に出たりしなければ、絵を配り歩いたりしなければ…全部裏目に出ただけじゃねーか。
※21
少なくとも一人ではないw
1期・大神・うしおととら・ワイルドアームズ2くらいしか知らないが
「これまでの旅は無駄じゃなかった」感はこみあげてくるものがあるよな
上に挙げた奴は全部このシーンで泣いてたわ
※23
ヒーローものなら良くあるんだけどね。
前作のヒーローの戦いが完結した翌週
新たなヒーローとその敵の戦いが始まるを
毎年繰り返して行くパターン。
わかるわー
ラスボス戦で謎の新設定登場して倒しちゃうパターン嫌い
ちゃんと物語で積み重ねたものをフル活用して倒して欲しい
ラスボス戦専用パワーとかフォームとか必殺技でも、どんなに強引だろうがそれまでの集大成とか帰結でなければいけないんだよな
※23
ヒーローが巨悪を倒す、なんてのは所詮は対処療法よ
我々が視聴を重ねてきた時間も
無駄ではなかった事になるからいいよね~
最強形態でも倒しきれなかった最強ラスボスを
本来なら一番能力的に最弱のはずの最初期形態や技で
倒してしまうというパターンもあるのだけど、
これもある意味そこに至るまでの戦闘経験値等の
積み重ねあればこそなのかんね〜?
強化形態ありきのパワーインフレの激しい作品程
ソレへの皮肉として、強化形態に頼らない素の力の
勝利的な結末をやりがちな傾向にある印象。
ケムリクサのその後が12.1話で〆てくれて本当に良かった…
一歩踏み違えば本編が茶番になりかねなかった
ケムリクサはみんな救われて
これから幸せに暮らしますエンドだからな
12話特殊EDで(裏姉妹・ワカりりともに)完璧に収まってる
しいて言えば裏姉妹+ワカバの旅路だけど
特にトラブルもないぶらり珍道中だから
物語としてお出しする程ではないんだよね
(見たいといえばものすごーーーーく見たいけども)
ケムリクサって結局登場キャラは本質的には二名、
しかもどんなに巨大とはいえ一隻の宇宙船の中でのドタバタで
キャラたちが経験してきた恐怖も絶望も焦燥も悲劇も
要するに他愛もない原因で始まったコップの中の嵐に過ぎなかった
ということが分かった時、全身に鳥肌が立った
なんてスゴイ作品だったのだろうかと
小宇宙というものをここまで壮大に描き切ったアニメって見たことない
※26
クウガの続編としてアギト作ろうとしたらクウガのスタッフから猛反発され、結局設定を曖昧にしてお出しするしかなかった
クウガは以降も聖域で、ディケイドとかのお祭り作品で出すにしも別の世界、別人として出すしかないという
週間世界の危機
例え次の週には新たな世界の危機が起きる対処療法ではあったとしても
その時その時処置して世界を救った事が無駄になったわけじゃないさね
※34
ジオウでさえ遺跡の中で眠ってたリントの戦士のミイラから
クウガライドウォッチを作ってた位だもんな。
※35
未来戦隊タイムレンジャーだと、二十世紀の終わりに起きた
大消滅という災害で世界が滅茶苦茶になった後、
千年かけて復興した結果が同作における三十世紀の
世界だったんだけど、タイムレンジャーの面々が
上手くやって東京のビル街の一部がちょっとやられる程度に
被害を抑えた事で明らかに未来が変わって、
次回作百獣戦隊ガオレンジャー以降に繋がった事が
ほのめかされている。
つまり過去のヒーローがその時の問題を解決しないと
次に世界を狙う敵が動く事も出来ないと言う事やんね。
機界戦隊ゼンカイジャーのラストなんか
神によってあらゆる並行世界が封印されて
それをゼンカイザーが神を説得して
封印を解かなかったら次回作暴太郎戦隊ドンブラザーズすら
始まる前からギアに封印されたまま始まらなかった感じやし。
※9
逆に、会社によってはとっくに滅んでいてもおかしくはないんだよね
そういう意味では、JOJOネタなのはわかるけどネタがネタとして成立していないというか
※34
これはオダギリジョー氏の事情もあるんじゃないかね
※30
逆の意味で積み重ねちゃったのが電光超人グリッドマンかな。
それまで「グリッドマンが素手で戦うがまるで歯が立たない→盾と剣を送るけどすぐ弾かれる→サポートロボと合体して圧勝」というパターンをあまりにも繰り返し過ぎたもんだから、当時から「最初から合体していけよ」「もうその盾役に立たないんだから送るなよ」と突っ込まれまくってたんだ。
果ては敵に洗脳されたグリッドマンがサポートロボに一方的に半殺しにされるなんてエピソードまで出てきて、視聴者の反応は「サポートロボ強えー!!」ではなく「ああ…やっぱり合体しないと弱いんだなグリッドマン」だった。
合体すると逆に極端に強くなっちゃって、片膝すら付いたこともないんだが(実際は着ぐるみが重すぎて起き上がれなくなるから倒れられないんだけど)。
んで最終回では「武器を総動員だ!」と言ってるのに例によって盾と剣しか送らなくて、そうこうしてるうちにロボを出撃前に壊されて合体できなくなった。
最後のボスは盾と剣を持ったグリッドマンを圧倒してたけど、そんなのはヒラの怪獣でも何度もやってたことなんで、ボスの強さは視聴者に伝わらなかった。
合体したグリッドマンを苦戦させてたら「さすがボスは強い!」と思ってもらえたろうに…。
※36
間違われやすいけど元々戦隊シリーズは、世界観が繋がってるのはデンジマンとサンバルカンだけで、それ以外はそれぞれ別世界の話って設定だった。
映画やvsものとかで共演するのは、あくまで特別なお祭りイベント扱いだった。
東映の子供番組じゃマジンガー対デビルマンからお馴染みだね。
ところが2000年代後半辺りからそのへんが曖昧になってきて、遂には同一世界にされちゃった。
要するに後付だわな。
話をややこしくしてしまってごめんなorz
けものフレンズに戻すけど、一期完結後にゴコクで
起きたとされる悲劇がなければ□におけるキュルルの旅は
無かったと言う事になるんかんね?
サーバルがその後も引き続きかばんちゃんと
旅を続けていたら、風が吹いて桶屋が儲かるやら
バタフライエフェクト的なアレで、カラカルが
目覚めたキュルルと出会う事すら起こらず、
しかも□フレンズは色々薄情な奴が多いから
腹を空かしたキュルルに飯食わしたろうって奴もおらず
キュルルはセルリアンに襲われるまでもなくに自滅餓死
していた可能性もあったと言う事になる。
ただそうなるとビースト問題の解決が出来ないから
ビーストに襲われて怪我するフレンズが色々出るのかもな。
>>16
というか散々引っ張った「驚異」を「ギャグに巻き込まれて無力化」とか「実は誰々が超強くて唐突に覚醒してワンパンしました」みたいなクソ雑な処理するからな
積み重ねを自らぶっ壊しに来る
アニメ版ケロロで一時期ケロン軍本隊から
タイムリミットを示す変なアイテムみたいなのが
ケロロ小隊に送られて来て、それが示す時以内に
ペコポン侵略を完遂しないといけないみたいな
制限が課せられてた時があった気がする。
で、回ごとにそのタイムリミットが少しずつ
迫る演出なんかもされていた。
それも結局しょーもないオチで有耶無耶になって
ケロロ小隊は引き続き日向家に居候し続けると言う結末だったな。
※41
キュルはゴコク関係無く勝手に目覚めてカラカルと一緒にとりあえずかばんちゃんを探す旅に出るんちゃう?
そこにサーバルがいるかはわからんけどね
ビースト問題はそもそも□内でなんも解決してないからわからんらん
※41
ゴコク以降は本編で描かれていないから何とも。
一応「1期と2期の間は5年たってるのか100年たってるのかもっと経ってるのか不明で登場人物も1期と2期で同一人物か否かは不明」ってのが公式関係者の最後の発言(2ガイドブック収録の梶井氏の発言)のはずなんで
※41に対しての解答はまったくもって不明としか言えないと思う
ゴコクで何かあったのかもそれが2と関係するのかも不明だし
関係者それぞれでたぶんこんな感じの事が有ったんだろうと言ったイメージは有るかもしれんが
そもそもこの1期と2期で同一人物か否かは不明って言葉自体が2期の不人気を見て後付けされたものかもしれんしみんな不明としか言えん
※46
種族名呼びのフレンズ達は別固体の可能性もあるけど
「かばん」という固有名詞使ってて別固体は無理があり過ぎる
ヒトという種族なのも分かっているはずだし
※47
その辺の理由は
「ラッキービーストの記録を調べて過去の出来事を知ったのかもしれないし」「レアケースとして前世代の記憶を引き継いでいたのかもしれない」
だそうだ
一期→二期の間に一体何があったのさ? …が一切語られない問題は
実は爆走兄弟レッツ&ゴー(原作漫画版)にも似た現象が起きていたのを思い出した。
世界大会編で日本代表として出場していた主人公のチームの五台のマシンが
敵チームの反則で壊されてしまったのを機に、その内の三台が新マシンに
それぞれパワーアップすると言う話をやってチーム戦力を増強させて
さーこれから巻き返しに行くぞ~って思ったら、そこで新主人公に切り替わった
新章MAX編が始まって、その新主人公の視点から前作主人公のチームが
世界大会に優勝した所をTVの中継で見るシーンが描かれると言う…
いやいや、私が見たかったのは三台の新マシンが世界大会でどんな走りを
したのかですよ。その過程を全部すっとばして優勝した結果だけ語られても
困りますよ~って言うお話。
積み重ね至上主義に関係すると思うんだけど
1期の凄いところは
「事態を解決する、物語上の装置」
が無いところだと思う。
魔女っ子ものの魔法とか、ヒーローものの変身とか、ロボットものの必殺技とか、異世界もののチート能力とか、水戸黄門の印籠とか…そこまで分かりやすいものじゃなくても、体術が凄いとか。
かばんちゃんの叡智がそれに当たると言えば当たるけど、事態の提示の仕方と叡智での解決の仕方のバランスが絶妙なんだよな。
…と書いていて思ったが、1期での「物語の解決の装置」はまさに「フレンズ」だった気がするな。
その積み重ねの結果が12話に現れたからこそ、カタルシスがあるのか。
わかる
※直球の下ネタは控えるようお願いします。