「けもフレらしさ」とはなにか?
今思うとヤオヨロズ版は
「けもフレらしくない」「ヤオヨロズらしさ」が出てたから売れたんだろうなぁ
本来の「けもフレらしさ」とは
「シャチバト要素」じゃなかろうか
#Peing#質問箱 https://peing.net/ja/qs/923973473
— どーじ (@papamuri0925b)Sat Sep 19 06:36:04 +0000 2020
そもそもの「けもフレらしさ」が自由度高いっていうね
— さちほこ (@orca_sakamata_K)Tue Nov 10 05:14:15 +0000 2020
けもフレ3、ネットミームやらいろいろセリフに混ぜてきていよいよ駄目だなと思ったのです
けもフレらしさがないのです
#マイクロハカセノホンネ
— LCBの囚人 ロムさん (@baburikusa)Fri Feb 05 01:09:44 +0000 2021
けもフレらしさを考えようとするとあらゆる方向に島が引っ張られて引き裂かれてしまう
— じかんじくA (@imnim_leef)Sun May 01 11:28:46 +0000 2022
好みはあるかもだけど、他Vとの差別化とか考えると印象でけもフレらしさを出していくのは良い方向性だと思う。
— まんまるにたまご (@ManmaruNitamago)Mon Oct 17 11:16:29 +0000 2022
けもVに何をもって「けもフレらしさ」を求めてるか知らないが(正直「けもフレらしさ」って言葉自体が自分の気に食わない展開に対する難癖にしか聞こえないけど)、ナミビアウォッチングはそのけもフレらしさへの答えの一つになってると思うよ
— おいちゃんさん🐆 (@M_O_W_S)Sun Apr 02 02:43:25 +0000 2023
コメント
あの時「視聴者が感じたもの」じゃないかな
「制作側がコレは!と思ったもの」じゃなくて
アニメ無印がイレギュラーだった説は同意
ムクムク大慈悲無垢観音やKFPの思想に反するものすべてがけもフレらしさだよ
フレンズによってらしさは違うから!
誰にとってのけもフレらしさなのかで全然ちがうけど、とりあえずKFPや現行けもフレファンにとってのけもフレらしさは少数精鋭()向けでしたね
今のけもフレの状況がけもフレらしさだとするなら顧客側がほとんど誰ももとめてないコンテンツだってことだね
逆に無印がけもフレらしさだとしたらそれを捨て去った今のけもフレはまがい物であると
うーん、詰み!w
※1
言い換えたら「人気があって」「売れた」けもフレらしさだな。つまり「たつき監督らしさ」。
ムクムク大慈悲無垢観音やKFPの思想のけもフレらしさは2.6%しか求めてない。
分からない…俺たちは雰囲気でけもフレらしさを説いている…
運営の方針ブレブレなモンなので
「らしさ」さえも無いのがけものフレンズ。
こんなので今まで潰れす保っているのは
本当に不思議である。
らしさを考えるとマイナス面しか出てこない現状
すでに捨て去ったものがけもフレらしさの良心、残ったものは2.6%が喜ぶ要素が暗黒面
全力のたつきヘイトでしょ
世間一般の認識を含めたら実質的にヤオヨロズ版けものフレンズが「らしさ」の基準になるだろうな
色々あっていいと思うぜ?
けもフレ2は筋が通ってない低脳ヤクザって感じ。それが2らしさ。
本来のけもフレはシャチバト要素?
なるほど…だから人気なくなったんだな
本来のけもフレらしさ=シャチバト要素=吉崎観音の魔法。
ケロロも総監督らしさでは売れずアニメで人気がでた。
誰かの手柄を乗っ取らないと成功しない三流クリエイター。
今回は考えてしまうテーマだな
ネクソン版まで考えるとirodoriがいないとけもフレらしさが無いとまでは言えないし、ネクソン版はシャチバトや其れ助みたいな吉崎の魔法と明らかに違うからな
案外、KADOKAWA梶井が書いてたっていうフレーバーテキストに本来の「けもフレらしさ」があるんだろうな
梶井が関わってたはずの漫画版2が「けもフレらしさ」があった最後の作品かねえ
公式的には□が本来の「けもフレらしさ」を表現した作品だったって事なんだろうな。
唯一当たったたつき版はけもフレらしさがなかったから良かったんかね
作品ごとに色々あるのだろうが
間違いなく最も知られているのは、たつき監督が作ったけもフレらしさだろうな
※18
騒動知らないでケムリクサの放送見た人が「けもフレじゃん」って言ってたの思い出した
その後「え?なんでけもフレ2やってんのに、こっちにもけもフレあるんだ???」ってとこまでお約束
・努力や善性や積み重ねが報われる、いわゆる「正直者がバカを見ない」世界観
・シナリオやキャラへの動物ネタの馴染みっぷり
・大冒険してる感や大自然の描写、これに人間文化の描写も加わるけど違和感がない
・登場人物達は「人間」ではないので価値観が人間目線ではない
と、色々思い浮かぶ要素はirodori以外ではこういうのは全部消滅したという
無印と漫画版以外だと、頭のネジ抜けてなくなってそうなフレンズ達、美少女キャラハーレム、あざといキャラデザとキャラ性、子供っぽいキャラデザなのに隠しきれないスケベ目線、雑に出てくる敵、シビアにしきれない微妙な感動展開、かがやきとかいう設定に付き纏うご都合主義感、SFに偽装した何か、あふれる商売っ気…
古参SFファンでありケモナーの自分としてはノットフォーミー。無印がなければ視界に入れもしなかった。
無印はイレギュラーだけど、□は逆方向のイレギュラーかもしれない。
※20
2でもだけど、3でことごとく消えた要素だな
※21だ、すまん
なに自己リプしてんだよ、俺
関係ないけどばからもんのOPを思い出した
そりゃもう総監督の脳みその中にある正解こそが正当なけもフレらしさでしょ
表現できてるか、人気が出るかはともかく
世間が評価した無印の要素はけもフレの可能性でありirodori作品らしさ
そしてそれらは騒動を経てirodori独自のものとなり
ケムリクサにてそれは示された
今のけもフレはらしさはあっても再ヒットの可能性は失われてる
マルチメディア展開として作成されたネクソン版、フライ版、たつき版それぞれ全く系統が違うのに共通のらしさを求められてもとは思う。
「オレ=けものフレンズ!けものミラクル=オレ」って事なんだよ!!
とっ散らかった現状こそがけもフレ
気も狂れ・・・か
まぁ、けものフレンズというコンテンツ全体に共通して言える「らしさ」と言うなら総監督のキャラデザ、つまり「見た目」という事になるとは思う。
中身、つまり作品の内容に関しては1期とそれ以外で方向性が完全に真逆なので共通する「らしさ」を見出すのは難しいと思う。
個人的な考えを言うなら1期以外、つまり「本来のけもフレ」は「人間から見た動物」。1期は「動物から見た人間」。ここが決定的に違う。
1期がヒットした理由の一つには「動物達から見て我々人間という生き物はどのように見えるのだろうか」という疑問を感じさせ、「もしも言葉を話す動物から『ヒトとはどのような生き物なのか』と問われたら我々人間は何と答えればいいのだろうか」と考えさせた点にあるのではないかと思う。トキ、オグプー、オーロックスときてハシビロに「あなた、ヒト?」と問われた時に背筋に冷たいものが走ったのは俺だけではないと思う。「ヤバい、人間であるとバレた!?」という感覚。
人間が実際にどのような生き物であるかを知っている我々は、ヒトを知らない動物達からのヒトとはどのような生き物なのかという恐ろしい問いに胸を張って答える事ができない。だからこそ死力を尽くしてサーバルを救い出すとするかばんちゃんに胸を打たれるし、そのかばんちゃんを救う為に動物たちが駆け付けた事に号泣するわけで。
「ヒトとはどのような生き物なのか」
1期のフレンズ達がそんな恐ろしい問いかけをしてくるのは、彼女達が人間のイメージの産物などではないれっきとした「他者」だからだと思う。
そして他者だからこそ、友達になる事ができる。
※26
つまりそれらを統一した総監督が無能すぎたと。
その後のマルチメディア展開の足も引っ張りつづけてるし総監督が戦犯すぎる。
あー、ごめんごめん。たつき版無印が異端で面白過ぎたのが悪かったんだよね。ホントごめん、シャチバトが好きだったんだ?後生大事に総監督様を崇めていれば良いよ。
※30
いい文だと思う。
たしかに仲間をさがすトキの登場は印象的だった。
ゆるい空気の中に漂う緊張感の説明として(人類滅亡の予感があるから)とは良く目にしたけど、人間の存在を問われる構図から生まれているという説明には納得。
総監督が考えたものよりはるかに上回る素晴らしいものを生み出したために嫉妬の標的にされたアニメ一作目の監督と制作会社
自分より優れたものを追い詰め追い出し、お山の大将の座を守ることこそ、彼の考えるけもフレらしさなのかもなー
※13
でもそんな三流クリエイターでも、現状ある意味一流以上の厚遇が得られているという事実
しかもケロロ一発当てただけで
かつてのアメリカンドリーム顔負けじゃねえか
※30
こんなアニメの続編を見たかったなあ。
実際にはこういうクリエイターを軽視するのがけもフレらしさかも知れない。
※30
近いがやや違う意見なので書いてみる。
「ヒトとはどのような生き物なのか」という問が恐ろしいものとなるのは、見る者の心のうちにやましい気持ちがあるからである。たつき監督はそれを巧みに呼び起こしつつ、一方でフレンズを人類を知らない存在、ヒトと異なる存在として描いた。
恐ろしい問いかけは視聴者の内より発し、だからこそ逃げ場がない。
だが、人類を知らないヒトであるかばんちゃんによって答が示され、圧倒的な他者であるフレンズ達は自身からの問に囚われた視聴者を外側から救い出す。
人類を知らない動物と人類を知らないヒトの間に育まれた絆はまばゆい理想となり、視聴者に勇気を与えた。どのような生き物かは我々自身が決めることができるのだと。
ちなみに□を見たおいらはFallout4のスーパーミュータント(オークみたいな存在)
のこんな台詞を思い出した
「人間はすごく愚かで、すごく弱い!!」
けもVが初期にどうこう言われたのは抽象的な理由ではなく
動物ネタが乏しくて動物ファーストとはなんぞやって問われたからだったと思うが
KFPはホラ吹き委員会とすでに見限っている人なら気にならんかったかもしれんが
ただメンバーが増えた頃からいくらか動物ネタも取り扱うようになってきたそうだからそれは良い傾向だと思ったが
(ヤオヨロズらしさを出すのは)パパには無理だよ…
しかしけもフレが終わって、すぐにシャチバトに移行する気満々だったの凄いよな
次の仕事あるのかよ、よく100体近くのキャラ見捨てる気になったな、どのツラで魔法とかほざくんだとか
50近くになって息子は高校生、新ケロロを外して焦燥してたんだろうなあ
※35
(サラリー)マン画家なんだよなあ( •᷄ὤ•᷅)
半生を映像化しても絶対ウケなさそう(orangepowder)
※41
自分の漫画のラストでキャラをGペンで刺し頃す王様だぞ(´・ω・`)
そうでなくても人様の作品土台にしといてその作品やキャラを擦るようなの描くお方だし…まあコレはこの人に限った話じゃないけど
※14
おもしろいね!
※30
本当におもしろいね!
わくわくしちゃうぜ!
こういう評論があっての けもちゃん!
けもちゃんらしいね♡
「けものフレンズらしさ=吉崎観音らしさ」と説えるなら自ずと答えは見えてコヨーテ(´・ω・`)
らしさ
「ボーボボ」の出鱈目な世界観や理不尽な展開や滅茶苦茶な心理描写は
元からそういうものとして受け止めて理屈抜きに「ハジケ」てると評価すればいい。
無駄に考察すべきでないし論客ぶって批判したら負けた事になる。
「ポプテピピック」の芸風や画風や倫理観やパロディセンスは
あのレベルあのクオリティだからこそ覇権を取ったという事実から目を背けてはいけない。
俺のがもっと絵が上手いとか俺の考えた
物語の足元にも及ばないとか全部負け惜しみに聞こえる。
「ちいかわ」の幼稚で純真無垢な登場人物を苛烈な環境に放り込むのは
悪意に満ちてるとかコレが許されるなら□も許されるべきだとか一緒にすんな。
1期の物語を踏みにじって1期の登場人物を通して1期のスタッフに幻肢痛が届く事を期待して
口角を歪めて舌舐めずりするのは狭義のヘイト創作そのものだし場外乱闘ありきだし場外乱闘抜きでは意味がない。
「けもフレ」1期のココがダメとかココ性格の悪さが滲み出てるとかディスろうと粗捜しする人いるけど薮蛇だよ。
そのアイデアそのシーンそれ1期監督なのか総監督なのかロクに確認せず
どっちに転ぼうと1期監督が悪い総監督の手柄って幾ら挑発しても
2019年時点の評価から逆転しないし時間が経って冷静になったつもりでいてもやっぱり逆転しないよ。
現KFPメンの無印のヒットに対する貢献度はゼロじゃないにしても
一方のケムリクサと□&シャチバト、へんたつとそれスケで
もう答え出てんですよね、せいぜい数%だって
※46
ボーボボ考察はそれ自体が有益な無駄なので問題ありません( ・ิω・ิ)
つか一期製作時に誰もそんな余裕ないだろよ、と。諦念で捨て鉢ってた人はいたかも知れないけど
一期はBGMと背景もよかった。
子供のころケニアで過ごしてたらしいたつき監督の実体験からくるこだわりがあったと思う。描いたのは背景スタッフかもしれないけど。
2にはそれがない
※48
ボーボボって行動は滅茶苦茶だけど何故こういう行動をしたかについては割と計算ずくなんだ
例えば有名な武藤遊戯の召喚は邪悪で理不尽なルールの双六世界を破るには領域の外から攻撃する必要があり、それらの条件を満たす為にピッタリの人選だったからだし
※49
わかる。自分、ケニアにもマレーシアにもカナダにも行ったことあるけど、無印観ると現地の空気思いだすもん。空間の見せ方がやたら上手いんだよ。
異端派だけど、無印で一番好きなのシナリオの構成力で、二番目が背景美術なんだ。
2でここ行きたいって思ったのはセラードだけ。他は公園にいるような気分になる。
※46
ちいかわはちゃんと見るとホラー寄りの冒険ものなんよね。短いんだけど、ごく小さな描写でキャラの状態や心理や行動の意図をちゃんと描きこんでいる。
本筋は、強くも賢くもない三人組が自分の持ち味を活かして苛酷な状況に立ち向かう話。常に読者を不安に陥れて、ジェットコースター的スリルと安堵を交互に浴びせてくる。□みたいな起伏に乏しい話とは違うんよ。
その一方で、良心を知らない魔物だったキャラに少しずつ変化の兆しが見られたり、逆にちいかわの種族だった子が魔物に変化したのをきっかけに心まで魔物に変わっていったりと、本筋とは別の物語が描かれもしてる。段階を踏んだ心の変化が丁寧に描かれていて、□みたいな人格がシナリオの都合で変わるやつとは真反対なんよ。
作者の性格は悪いかもしれないけど、クリエイターの評価は悪意の有無より「どれだけ観客を楽しませたか」で量られるもの。
□は面白くないから視聴者が理由を探し始めて悪意を疑われて過去ツイまで掘られるんだよ。
49だけど、BGMは無印も2も同じ人が担当してたのか、でも何か効き方が違うように感じたな。1期は背景や作劇とうまく合わさっていた気がする。
「吉崎の吉崎による吉崎のためのプロジェクトであること(後はオマケ)」それがけものフレンズらしさだったんだろう本来は
※49
□に関してはOPラストの劇場ステージで手振ってる演出が全てを示している。
一期が実際にサバンナ行ってロケした物だとするなら、□は劇場ステージや
スタジオ内にサバンナ風セットを作ってそれっぽくしただけって感じやんな。
下手をすれば□自体が劇中劇の可能性すらあり得る。登場フレンズに
けものっぽさが感じられず、けもコスしたキャバ嬢にしか見えないってのもソレ。
□の背景はピントをボカしたり
彩度を下げるとかの演出が足りてない
ように見えて、まるで芝居の書き割り
のように思えた
脚本のますもと氏が元々舞台とかの脚本がメインの人やっちゅー話やかんな。
声優業を軽んじる役者崩れみたいなノリか
※53
その感覚はまことに正しい。
オーイシさんが試作版送っても全然反応もらえないから自己リテイクしたって言ってたけど、BGMの人も放置されてたんじゃないのかな…
ただ、2は作劇がそもそもアレすぎてどんなBGMでもフォローし切れなかったと思う。
少々の粗さならBGMでなんとかなるんだけど、BGMすら敗北するよ、アレには。
※47
2.6%くらいの貢献度じゃね?
※60
(売り上げベースで算出だと)1%未満だよ…
※59
すごくたくさん流れたから□を見た人なら全員聞き覚えがあるだろうギスギスのテーマ
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm35286741
これ、サウンドトラックだと一番最後にあってどうも最後に作った曲らしい
あまりにもギスギスシーンが多くてそれまでに作ってたけもフレらしい?曲だけでは賄いきれなくて追加発注しざるを得なくなるような無計画さだったんじゃないかな
1期のBGMはたつき監督がかなり細かい仕様つきで作曲の立山さんに発注したのだろうか
でもないとあのアフリカっぽい音は出てこないと思うし曲を聞いただけで
冒険のワンシーンが思い浮かぶ
□では冒険よりもギスギスやら1期への当てこすりばかり思い出されるのはなんなんだ
※63
冒険なんてしてなかったからでは?
□はパークを遊園地や動物園然ととらえて
冒険感や野生感をイメージできなかったんでないかな
だから順路をガイドと行くみたいな道程になる
スケッチブックで行く先が(暗示的に)定められてることと
序盤のモノレールがそれに拍車をかけてる
セルリアンも脅威として描ききれてないし
対する無印はサファリパークの「野生に近い動物の姿」を
限界まで拡大しつつ、可能な限りパークの自然を雄大に見せようとしている
1話でさばんなちほーの端っこを見せないようにしてたとか、
こだわって造っていたことも知られているしね
□スタッフには自然の中の動物をイメージできるやつが
一人もいなかったのではと勘ぐっている
※62
ホンマそのギスギスのテーマこそ□が何たるかを示す迷曲やんな
どーじさん久々〜
けもフレらしさってのは「ぼくのフレンド」が流れた瞬間に視聴者の間で固まったと思ってる
あそこが「けもフレ」の「ピークの始まり」だと思ってるよ
そしてそれは、たつき監督と視聴者によって深みを増していった
※直球の下ネタは控えるようお願いします。