【けものフレンズ】廃墟観の違いについての考察
けもフレの廃墟設定はたつき監督と吉崎先生の共作ですが、お二方にとっての「廃墟観の違い」というのは結構重要な考察材料だと思われます。ケムリクサとけもフレ2を比較する際には特にそうです。
吉崎先生のそれは「地球最後の一人」という悲劇的な終末論的な思想であるのに対し、
吉崎先生のそれは「地球最後の一人」という悲劇的な終末論的な思想であるのに対し、
たつき監督のは「キャラクターの暮らしの一部」であり、さらに視聴者の目線からすると考古学的な発見の媒体(別の言い方だとイースターエッグ探しの場所)になりうるものだと考えられます。
他にも違いがあると思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。 pic.twitter.com/qiJWl3h0Ac
他にも違いがあると思うのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。 pic.twitter.com/qiJWl3h0Ac
@hBXNnzoL1ysddq6 月並みな言い方ですが、分かりみが深いです。
コメント
4話のさばくちほー冒頭で周り一面砂漠なのを
『何もない』とは捉えず「砂がたくさんあるねー!」とサーバルちゃんに言わせたのに通じるかも
凡人には否定的悲観的に見られるような代物にも良さを見出す、てな感じで
自分が死んだあとも世界が続くのが許せない傲慢な思想が透けて見えるんだよなぁ
悪口になっちゃうけど吉崎のはファッション廃墟
売れさえすればなんでも良かったわけで、売れないと思ったら「僕の名前は出さないでください」
売れたら「アレオレ」
騒動が起きたら一言もなく逃げちゃうし、作品に責任持たないやつはその程度の熱量しかない
もしそれが本当なら、キュルルは悲劇のヒロインって訳か……
(#゚Д゚)ハァ?
たつき監督の場合、廃墟に二重の視点がある気がするよ
最初から廃墟で暮らしていて時々面白いもの珍しいものが見つかるという、登場人物の生活の場として
もう一つは視聴者の視点。
登場人物が当然の如くいるのに対し、廃墟をみて想いをめぐらせ、あるいは写り込んだ伏線にドッタンバッタン大騒ぎ
基本といえば基本なんだろうけど、こうしたことをきっちりみっちり描写している
そのおかげで単なるガラクタでは収まらない、子供の頃のワクワクする感じと大人になってから見る寂寥感や喪失感を同時に味わえるんじゃないかな?
ついでに言うと、廃墟設定にすることは1話制作中に吉崎に押し付けられたもの
設定そのものはたつき監督の手柄であって、なんで共作だなんておこがましいこといっているのか理解できない
廃墟といえば1期って作中での不可逆的な破壊は少ないのでは…と思った
もちろん廃墟だから最初から壊れているものはちょくちょくあるんだけど
その最初から壊れてる(が生活上困ってない)ものを直して進んだのが2話3話で
壁の破壊があった4話も地下迷路の壁はアレぐらいなら直そうと思えば
材料を揃えてこはんコンビでも呼べば簡単に直せるだろうし
12話の観覧車も博士助手でメンテができるなら戻せるのでは?という予想
修理困難なのはセルリアンと一緒に沈めた船ぐらいだけども
実際のところ船って最悪イカダとかでもいいから代替品は可能で
つまり最初から壊れているものを除けば修理や代替が完全にできなくなるような
不可逆的な破壊はほとんど起きてないのでは…?
好きにさせるとミネ王出して世界壊すのが総監督だからなぁ
背景側に起承転結の物語があるのがけもフレ一期(類似なつみステップ等)
けもフレ2の廃墟は物語はない。だだ出てくるだけ。
だだこれは脚本を文字で書いてる時点で真似するのが難しいってのがあるが。
コンテ、絵で脚本を作らないとけもフレの真似は難しい。キャラ側と背景側で二重で脚本を作るのは絵で脚本作らないと難しい
吉崎「子供は廃墟なんて好きじゃないですからね」
なんか取り敢えず廃墟にするのが総監督
廃墟で有る事に意味を持たせて話を作るのがたつき
物語の設定やプロットって手掛けた人の人格が反映される
吉崎は虚ろさがある 中身のない空虚 触れてみてゾッとするイヤな要素を感じる
温かみのあるたのしい、おもしろいお話を描ける本物のアーティストとは比較にもならない
子供はよく父親のことを知っていた 「パパには無理だよ」
1期はまず舞台背景があって、その世界の中でフレンズ達がちゃんと生きてる
そして語られない世界観のヒントとしての廃墟だから意味があるんだろう
□はbがキュルカス(=自分)のためにご都合でこしらえた薄っぺらい「キャバクラ廃墟ランド」
ステータスがオープンする中世ヨーロッパ風異世界と一緒
一期冒頭で描かれた廃墟はサーバルにはたーのしーおもちゃ箱だったからね
でも物語が進むにつれておもちゃ箱が深い意味を持ち始めて、サーバルも
たーのしーばかりじゃいられなくなる。
この辺の巧みさがたつき監督なのですよ
吉崎先生のほうが同じテーマでも発想が凡庸なんだよね
優れたイラストレーターなのはまちがいないけど
サリエリとモーツァルトみたい
ホテルと観覧車を海に沈めるっていう申し訳程度のファッション廃墟はいらない
廃墟だろうがファンタジーだろうが、腕が無ければ馬脚を露す事になり物語が白けるのは共通パターン。但し成人向けロリコン作品ならムクムクが経験が長いからそれだけは軍配が上がるだろう。
廃墟というものがヒトにどんな想像をさせるか、理解の有無の結果だよね
とりあえず廃墟にしときゃウケるんやろというセンスのない勘違いを晒した結果、
日本のみならず世界的なアニメ史にさえ永久に刻まれたであろう黒歴史が生まれてしまった
普通の廃墟は過去の遺産だけど
たつき監督が手がけた作品だと今も誰かが使ってるもの感が増す
1期の廃墟にはワクワク感があった。
視聴者の想像をかき立てるものがあった。
さりげなく軍用機が墜落してたり。
一体、何があったんだと考察しがいもあった。
□には何かが置いてあっても何も無いに等しい。
そもそもかばんちゃんはジャパリパークで生まれた人のフレンズだから最後の一人じゃない。
かばんちゃんにはフレンズの仲間がたくさんいる。
キュルルとは違う。
※7 私もそれ思った。
数年放置された程度の荒れ具合な感じがする。
なので、人類は滅亡したという難しい話ではなくて
単純にモンスターが危ないから全島避難しているだけだと思った。
※17
>>成人向けロリコン作品ならムクムクが経験が長いからそれだけは軍配が上がる
言っちまえばアイツのファンがムクに求めてるのなんてこれだけ。あとショタ。ソッチ方面しか期待されてない。動物コンテンツとか緻密な伏線の物語とか優しい世界とか廃墟とか感動のストーリーなんてムクには無理だとファンが認めてるし求めてない。それを求めてるふりしてるのは真フレだけ。
分かりみとか言ってるエバラユウキとかいう垢コイツ漫画版□や3をやたら持ち上げて漫画版にいたっては神聖視してるレベルの真フレじゃなかったか?今twitter見たら政治関係のリツイばっかだったが。その合間にウマの絵リツイしてんの気分良くないからやめて欲しいわ。対立煽り垢にでもなったんかな?
別に1期と同じ場所というわけでもないのに特に理由もなく観覧車のゴンドラを1つ無くしてファンサービスだと考えるような自己満足はいらない
※24
少なくとも真フレではないでしょ
カミノとかと手を組んでたり病棟民だったりするわけでも無し
個々人の行動に制限掛けられるわけでも無いしな…
※24
警戒するのは悪いことじゃない
怪しい動きしているのは真フレの表垢だと思って、
ばっちいから触りに行かない…と思う位が丁度いいぞ、こんな界隈
思うだけなら個人の感想
クソリプつけたら悪いのはこっち
だから見るだけ損なのよ
気になるならミュートにしてたまーに巡回に行くくらいでいい
一応吉崎観音の擁護をしておくと、1期ガイドブックの時点では「作劇的に地球最後の一人にしました」と書いているのであって、「地球最後の一人です」とは書いていない。
俺はこれを「かばんちゃんは劇中で『地球最後の一人』という役割を担っているという意味であって、設定として(劇の範囲外までも)地球最後の一人だと断言してはいないな」と見ていたんだが。
今の吉崎がどう思っているかは知らん。
※24
「エバラユウキ」さん「真フレ」と言うより「どっちつかず」じゃ無いのかな。▢のコミック版や3の存在を認める1期ファン・容認派だっているし。私は▢コミック・3否定派だけど。
※22
私も同じ考えだった。廃墟と言ってもそれほど時間が経ってないから疎開した程度で、たつき監督版の続編でかばんちゃんとミライが出会うストーリーが有ったかも知れん。それを馬鹿タレが非合法なやり方で強奪したからかばんちゃんを殺さざるを得なくなってしまい、収集が付かなくなったからな。
例えミライさんが生きていようが死んでいようが続編は作れないし、人気は地面を這い蹲った状態なので権利者が見棄てない限り生きていられるが、どうぶつビスケッツが30代になったらお払い箱になりその時が寿命かも知れん。
※27
たぶん言った本人も覚えてないと思うよ。
総監督様の廃墟は取ってつけたような廃墟で意味はない。ただしチラリともにおわせもしない裏設定はてんこ盛り(のつもり)
たつき監督の廃墟は意味を持たせている。だから考察が楽しい。
パパには無理だったんだよ
※直球の下ネタは控えるようお願いします。