「けものフレンズ」のテーマとそれぞれの作品の主人公の比較
けものフレンズの問題として、動物や動物園を関連付けたテーマを取り上げているにも関わらず無関係な方向へ脱線している事なんだよね。
何故、動物に関心を持たせて「動物園へ行こう」とその気にさせる事を辞めたのだろうか?
主人公を比較するとこの問題は顕著に出てくる。
— いろがきさん (@Iro_Rakugaki)Thu Jul 21 04:04:56 +0000 2022
ヤオヨロズ版では主人公が突如、知らない世界を周りながらあらゆるフレンズと出会い、世界の謎を探求する話になっている。
これは、今まで動物や動物園に興味が無かった人たちの状況と似ており自身を投影しやすい要素になっている。
更に話題性や11話ショックで引き込まれる仕掛けもあった。
— いろがきさん (@Iro_Rakugaki)Thu Jul 21 04:15:15 +0000 2022
2はどうかと言えば…。
まず、目的が「家に帰る事」。これでは動物園に行く流れを断ち切る形になってしまう。
そして、主人公が行った行為の大半が悪印象を与えたり、動物園と関係ない行為ばかりという事。
主人公に自身を投影しづらい上に嫌悪感を抱き動物園に行こうとも思えない時点で問題なのだ。
— いろがきさん (@Iro_Rakugaki)Thu Jul 21 04:31:30 +0000 2022
では、他の作品はどうかと言えば…。
設定は人間でありパークのスタッフや園長ではあるが、「その立場で出来る事」それらの内容にかかっていると言うのが突きつけられている現実だろう。
要はコンテンツの提供物だけで完結してしまう内容では新規は興味を持たないと言う問題があるのがわかる訳だ。
— いろがきさん (@Iro_Rakugaki)Thu Jul 21 04:42:50 +0000 2022
ヤオヨロズ版けもフレの放映時、話題性から後を追いかけてした後のどんでん返しから感動の最終回を迎えて、あらゆる考察や追加情報を漁る中で動物園へ行ってみようかな?と思う雰囲気…今でも本当に勿体ないと思いますよ。
ウマ娘やモルカーを見ると羨ましく思うくらい惜しい物だったんですわ。
— いろがきさん (@Iro_Rakugaki)Fri Jul 22 08:49:52 +0000 2022
自分だけで動物園に行くよりみんなで行く方が楽しいし、あの当時に行けばアニメを見て同じ志を抱いた人たちがいるんだと、励ましにもなるんですよ。
そう言う雰囲気は大きな力にもなるんですよ。決して侮ってはいけません。
— いろがきさん (@Iro_Rakugaki)Fri Jul 22 08:54:42 +0000 2022
コメント
速攻真フレが噛みついてて草
家に帰ろう→ホームレスでした。
子供に見せられんわ逆張りが過ぎるだろ
お家なかったから作っちゃおうっていうストーリーだったらお家何回も作りながら動物の巣の作り方とか解説できたからよかった説
本当に▢は何がやりたかったのか理解出来ん。1期は冗談抜きで真っ当な作品で有る事に変わりは無い。
いい感想だと思う。
自分もそう思う
コラボした動物園が公式が告知してくれないと嘆きそのままだったくらいだから
1期のアニメスタッフがか勝手にやっただけで
むしろ公式は動物園とか嫌ってるんじゃないのw
ケモっこが「わーい」「たーのしー!」とか言ってかわいく動いてればファンは大喜びなんだろう
孤独でコミュ障なスケブ太郎は現代っ子の共感を得るだろう
もちろんサーバルは意思のない従僕 従順なナカマだよ! カラカルはツンデレだ
悪だくみしたイエイヌは排除 ゴーホーム! 敵は抹殺。ガレキに埋もれてハッピー
動物園? ああ、こちらにメリットがあるならコラボしてあげますよ~
敏腕()テレ東プロデューサーや奇跡の総監督のセンスが光ってるね
監督は黙々と言われたことをやる労働者。脚本も言われたホンをただ書く幇間
ああ コーヒー(ブラック)がうまいな
※6
おそらく、KFPからすれば動物園コラボって『旨味が無い仕事』なんだろうな
そういう意味でも、ぱびりおんは良かった…
特別枠のフレンズ以外は必ず元動物の特徴絡めたあーかいぶトークを用意してあったし…
モヤモヤ感が霧消していく。
腑に落ちる感想。
真フレの引用リツイート見てみたが尽く意味が伝わっていなくて見当外れのツッコミで大草原
以前からいわれてるけどけもフレは無印アニメとそれ以外とで断絶があるから、前者を評価する文脈で後者を見るとどうしても批判の色が濃くなる。
無論、2に備わってる問題はまた別ね。単独でも視聴に耐えんというのはそれ以前の話なので。
> 世界の謎を探求する話
だっけ?
自分が何のフレンズか知ってる人を探すとかなんとかだった覚えがあるけど。としょかん以降はヒトがいる場所を目指してだったよね。
2は見てないから自分にはできないけど、もう一声ないと対比にならないのでは。
かばんちゃんのテーマ
「自分では何も出来ないと思っていても何か出来る事はあるはずだよ」
キュルルのテーマ
「出来ないなら無理にやろうとはせずに出来ないままでも良いんだよ」
多分こんな感じかと。その位にテーマが根本から違うんですわ。
https://mobile.twitter.com/MTribology/status/1550391069921009664
みんな大好き八月豚君の引用リツイートでのご意見
葬監督様や公式が謳ってきた大前提を否定しちゃったよ
そもそもあいつの言う“おうち”が何なのかよく分からないんだよな
◻︎は何も考えてない人が上っ面だけそれっぽく見えるように作った中身のないハリボテだから考察しても意味ないよ
良い話を作ろうとしても何が「良い」のか分かってない
※7
事実陳列罪
※14
あ~あ
コイツにはけもフレなんてもうどうでもいいんじゃない?
それはともかく相変わらずの底辺絵師だね ブックマークが軒並み2桁
性格も頭脳も作画技術も残念な人だね
呪詛ふりまいて周囲を落として高みの見物気取ってるけど、高々と上がっているのは無駄なプライドだけ
鏡みてみよう 嫉妬やネガティブな感情に弛緩したたるんだ顔がそこにあるぜ
実際にお世話をしている割と身近な動物園の方にインタビューをしてその動物の特徴とかを語らせてたのも効果的だったと思う
俺は今でも地元動物園の年パスを買って通ってるよ
きっかけを与えてくれた1期アニメと観察する面白さを教えてくれたぱびりおんには大感謝だわ
※14
昔は真人間だった(らしい)のにねぇ…
※13
キュルルのテーマって
「目的を達成出来なくても別の何かで誤魔化せば良いんだよ」じゃね?
わかる
わかるけどいいねすると目を付けられそうだからいいねできない…
わかる
リツ、いいねすると目を付けられそうだけど、・・・まぁいいかぁ、反応する価値はありますぜ!
以前に東大の研究チームが、1期が動物園と絶滅危惧種への寄付に貢献したとの論文を出してましたね
https://kemochan.com/archives/91708
1期の内容は「行動展示」だって考察が有ったね
ネクソン版や3については動きに制約のあるゲームという媒体故に限界があり仕方のない面もあるだろうけど
主人公はともかく2はあんまり動物園で見られないようなキャラが多めに感じたな
一部で話題になったゴマちゃんとかちょっと見てみたいなと思ったけどあの子は日本(の動物園)では見られないんだよね
※23
※24
たつき監督降板騒動の直後もそんな感じだったなぁ
KFPの振る舞いに首を傾げる呟きをすると「お前たつき信者か?」「たつきは犯罪者なんだぞ!」って騒ぐのに粘着されて面倒だから大抵の人は表立って騒動に触れなくなった
それを真フレは(KFPや□の制作陣も)
「KFPを批判する奴もたつきを擁護する奴もいなくなったから大勢の人間はKFPが正しくてたつきが悪者と認識している俺たちが正義だ俺たちがやることに世間は無条件で賛同してくれるぞ」ってとんでもない勘違いをして今に至ったわけだ
みんなKFPの振る舞いはおかしいって認識を持っていてただ黙ってただけで、□の放映終了と共にKFPを擁護してる人間が極一握りだと露見した途端「たつき信者は大勢で少数の人間を叩くとか卑怯者だ俺たちは被害者だ!」って論調に変わったのはあの降板騒動以来いつかそうなるとは思ってたけど実際に見たときはあまりにも身勝手で呆れたよ
今も呆れてる最中だ
□は人間(吉崎)を投影させた なろう
すごいbotとキャバ猫連れ歩いて細麺の思い付き台詞(おうちへおかえり)とか言わせて気持ち良くなるだけ
しまいにゃ「だいすきなんだー!」とか行って おうち(コンテンツ)を私物化したいが為だけに生み出された駄作だった
□の家に帰る話しなんざ、まんが日本昔話のED数分で片付くものを長談義にだらだら引き延ばしたようなものでしょうよ
※28
今のニコニコ大百科の□関連の記事の掲示板で身勝手にたむろしている奴らもそうだな
真フレ、もとい自称現行ファンが今もなお連日昼夜問わず書き込みを続けている
しかも毎日同じようなことを繰り返し言い続けているし(もうそろそろ年単位と言って差し支えがなくなってきた)
内容はブーメラン極まりない発言かあるいは自分たちがしでかした行いを
まるで彼らの言うところのたつき信者がやったかのようにすり替えた発言も見受けられる
もう何年も経っている話をまるで昨日起きたかのようにネチネチと言い続けているのを見ると
よほど悔しい思いで胸がいっぱいでそれ(荒らし行為)以外はなにも出来ない状態なんだろうなという感想
2は全体的にポジティブな感じが全く無いんだよね
そして実はテーマがあるんだとか言われてもだから何?ってなる
ほとんどの人に伝わらない内容とか受け付けられない物とか話にならないよ
※15
第一話では泣くほど帰りたがってたはずなのに、なぜか絵と同じ場所見付けて「僕はここに来たことがあるんだ!よし次行こう」なんて話が2話も続いて(陸に残ってる方の建物調べるとかしろよ…)、
なんか知ってそうな奴らが向こうから接触してきたのに放ったらかして帰っちゃうし、
ゴリラ回に至っては絵にゴリラが描かれてるのに誰一人本人に尋ねない。
「これに描かれてるのゴリラさんですよね?この辺に僕みたいな人住んでません?」とか聞けよ…。
個人的にはフレンズと仲良くなった描写が□は著しく欠如してたなぁ、って。
とくにフレンズと同じ事をする描写が。
1期では2話でカワウソの提案でジャガーを待つあいだ日向ぼっこしたり、
試行錯誤を繰り返してものづくりしたり、3話や5話、最終話では一緒に飲食したり、
9話でキツネと温泉に入ったりとか。
□では肝心の2話の共同作業も全部カット。
キュル公がひとりで「その場しのぎの思いつきでしてやった」で全て解決の連続。
極めつけはヒョウの「文句のひとつも言ってやらんとなぁ」というツンデレを勘違いした台詞回し。
これで仲間!みんな仲良くで終わるんだから……
※28
けもに限らず炎上案件あるあるやんけ
そうやって一部の層が先鋭化していくと、デマ誹謗中傷ネタを既成事実としてでっち上げられたり、事件レベルの過激な行動するヤツが出てきたりで厄介が過ぎるんだわ
※34
恐ろしい事を教えてあげよう
仲良くなったという認識だったんだよ、□をひりだした奴らにとっては
つまり、僕ちゃんの化身であるキュルル様が獣なんぞに目をかけるという温情を施してやった(人の手下にしてやった)・・・という意味で
※15
最後に「ここがぼくのおうち」というための前振りでしかない
いやほんとに、物語の中に生きるキャラクターとして成立してなくて、そういう作る側の都合と自己顕示欲の塊なんだよ、あの下痢弁小僧
※30
まんが日本昔話(龍の子太郎の方)と日本の昔ばなし(トマソン)を比べるのは酷ってもんでさぁね
※38
そもそも見たことも聞いたこともなかったぞトマソンのやつは
ツイ主に同感。ホントに動物園に行きたくなったもんね~
あと※7にも同感というか、けっこう真相に近いんじゃないかと思う
※31
ただ、□批判最盛期は真フレ達はそれすらも満足に出来なかった位、勢い良く逆風が吹き荒れまくっていたわけだし、むしろ今はもう何年も経っている話をまるで昨日起きたかのようにネチネチと言い続けていられるようになってしまった事が問題な気がするんだけどね
それにもうひとつ言うならば、現行のけもフレ(KFP)が未だ続いている以上は、少なくとも何年も経っている話〜というのは、語彙が違うのではないかな
現在進行系の話という意味では
※41
こんだけ治安悪化して荒れ果てたから意見する人もすっかりいなくなってしまったのよ
何年経とうがスラム街はスラム街のままなんよ
※直球の下ネタは控えるようお願いします。